「正しさ」は押し付けた瞬間から正しさを失う
「Ghost of Tsushima」(ゴーストオブツシマ)というPS4のゲームが、今、世界中で注目されており、品薄状態なのだそうだ。
元寇がテーマとなっており、侵略してくる元との戦いに身を投じる一人の侍が主人公だ。
制作会社はなんと、アメリカのサッカーパンチプロダクションズである。
「アメリカが作った侍のゲーム」というと、ふと「スシ、ゲイシャ、ハラキリ~!」を地で行くステレオタイプ全開の内容を想像してしまうが、
実際はそうではない。
日本文化へのリスペクトが光る要素が随所に組み込まれており、刀でなんでも一刀両断にするようなファンタジーも登場しない。
ゲームとしても、バリエーション豊かな戦闘(一対一の斬り合いやステルスキルなど)、PS4のオープンワールドゲームとは思えないローディングの速さ、美しい風景をフォトモードで保存することができたり、挙げ句には、色彩やエフェクトをかつての黒澤映画のように設定できる「黒澤モード」なるものまで実装されている。
日本人としては、ここまで作り込まれた侍ゲームを、
アメリカのゲーム会社が作ってくれたということに、素直に喜ばしい感情が湧いてくる。
だが、海外の一部の層からは以下のような批判が相次いでいるというのだ。
「ゴースト・オブ・ツシマは歴史修正主義! 侍を美化しすぎている!」
「非アジア系アメリカ人が、日本の歴史のゲームを作るなんて、文化盗用だ!」
は~~~~?????
ばーーーーーーっかじゃねえの????
今、欧米社会が異様なまでにポリコレ(人種や思想などを理由に差別をしないように、という中立的思想)に怯えているのは、それとなく耳にしていたことだが、なぜ当事者である日本人を無視して勝手に日本人の気持ちを代弁して、勝手に気持ちよくなってるわけ?
日本人のゲーマー友達は周りに何人かいるが、彼らからこのゲームに対する批判的な内容を聞いたことは全くないし、インターネット上を探してもこのゲームに怒りの感情を向けている日本人はほっっっとんど見たことがない。
このゲームをプレイするなり、プレイ動画を見るなりし、ゴーストオブツシマを認知した日本人のほぼ10割が、このゲームを非常に好意的に受け止めていると言ってもいい状況だ。
(中には、政治的理由からか海外ポリコレと同じことを言ってる日本人もいるが、ツッコミどころが多い)
であるにも関わらず、なんで日本人ではない人が、日本の尊厳を勝手に利用し、勝手に怒り狂ってるんだ?
一人の日本人として、日本人の感情を勝手に代弁し、自分たちの都合のいいように勝手に利用し、誰かを殴る口実にするのは即刻やめてもらいたい。
最近はこういうポリコレに関するニュースを、インターネット上でやたらと目にする機会が増えて辟易している。
もちろん、本来ポリコレが目指すべき姿は、正しいのだろう。
人種、性別、宗教、思想などを理由に、人が人を差別するようなことはあってはならない。
だが、ポリコレという大義名分を掲げ、気にもとめていない当事者の気持ちを勝手に代弁して、レイシスト(差別主義者)という棒で何もかもを殴り散らす今のポリコレに、正義は全く見いだせない。
正しいとは、全く思えない。
「正しさ」は、押し付けた瞬間からその言葉本来の意味を失うのだと思う。
「正しさ」に絶対の答えはない。
何が正しいか、ということは様々な媒体で往々にして議論されてきたことだ。
だが、押し付けられた「正しさ」がその答えたりえるだろうかというと、胸を張って「違う」と言える。
そんなものは、「正しさ」という言葉を利用した脅迫や暴力に過ぎないからだ。
脅迫や暴力が正しいわけもなく、つまるところ、押し付けられた「正しさ」は「正しさ」を失う。
そうして、世の中はだんだん息苦しくなっていく。
ブログを始めることにした。
SNSが全盛期のこのご時世、時代に逆行してブログを開設することにした。
理由は至ってシンプルで「思ったこと(主に批判)を正直に書く場所がほしいから」だ。
SNSが全盛期ということもあってか、現在のインターネットでは炎上を恐れて、めちゃくちゃ慎重に言葉を選ばざるをえない環境がはびこっている。
それが100%悪いことではないのだが、時折「明らかに批判されて同然の人・団体に対して、炎上を恐れてものすご~~~くマイルドな指摘でお茶を濁す」という事例が起きている。
それ、めちゃくちゃアホくさくね? 褒めるときは褒める、批判するときは批判する。それでいいじゃん。
と思ったので、SNSでは火種になりかねないようなことをちゃんと書いていこうと思う。
自分は、ゲームやアニメなんかが好きなオタクなのでそれに関する話題や、時事問題なんかを取り扱っていこうと思う。
よろしくお願いします。